2020年04月

 (きょうの「一分線香即席噺」)
 「お婆さんの人生って、ずいぶん長いねえ」
 「老婆(ローマ)は一日にして成らず」

 @2020年・令和2年の4月も最終日。普通でしたら、「今月の振り返り」とか<スプリングシリーズを総括する」ということを書くのですが、今年はナシ。どちらもイベントゼロで過ぎてゆきましたから。コロナコロナでドタバタしているうちに今年も3分の1が終わっちまった!このままでいくと、今年の折り返しの6月末までこんな感じなのか?

 振り返れば、今年のお正月に初詣でに行った時に、今の世の中の状況が想像出来ました?なにごともなければ、今頃は「早く咲いた桜にみなで浮かれて、聖火リレーで盛り上がって、オリンピックも近づいて国じゅうお祭り騒ぎ!」のはずでしたろうなあ。

 頭の良いウイルスですわ。人と会ったり・話したりがイチバン危ないというのでは。社会生活・経済・文化・スポーツ・祭りやエンタメ・地域・人とのつながり全てを破壊しつくしています。
 「三密」にあてはまる我らが「落語」・「寄席」もダメ。まいったなあ~。
 本会のロング・オフも50日を超えた4月中頃から、「これは長期戦になるなあ」と漠然と思いはじめまして、GWに入る直前には、覚悟を決めました。今後はこの状況下でいかに会員のモチベーション&クオリティーの維持を保ち・会員間のコミニケーションを欠かすことのないよう心掛け、再開の日まで組織を守るか、という点に今以上に腐心するよう注力します。
 &自分自身の心身の健康の維持にも気を付けねば。道は遠いぞ~!

 *昨日は、セルフ稽古で「大山詣り」を口演。うん、これなら大丈夫でした。大学の頃にマスターしたネタは、最近覚えたものよりも身に入っているもんです。

 <夢見亭一生楽のBOOKガイド>
 *「美しき愚か者たちのタブロー」(原田マハ・文芸春秋社)
 日本の若者に本物の名画を見せたい。その一心でヨーロッパで絵画を買いあさった男がいた。モネ・ルノワール・ゴッホ等々、国立西洋美術館誕生の礎となった「松方コレクション」の奇跡を描く感動作。
 私も何度か足を運んでいる「国立西洋美術館」誕生までのストーリーは波乱万丈。パリに残った松下の部下が、ナチスの手から名画を守り抜くスペクタクルもあり、私がプロデューサーだったら映画にしたいくらいの一冊です。
 MOMA(ニューヨーク近代美術館)の学芸員であった原田マハ。「アート」に関する作品は当然多いです。「暗幕のゲルニカ」・「楽園のカンバス」・「ジベルニーの食卓」・「デトロイト美術館の奇跡」・「常設展示室」と読んできましたが、もう一冊の私のおススメは、ゴッホとパリ在住の日本人画商の交流を描いた「たゆたえども沈まず」(幻冬舎)です。

 (きょうの「一分線香即席噺」)
 「葬儀屋さん、どんな棺桶を使ったら良いですか?」
 「ひつぎ(質疑)応答」
 
 (昨日は、途中雷が鳴りまして、更新を中断したので、続きを~)
 @昭和の時代、落研は真岡高校のOBと現役だけで構成されていました。「外部の人間を加える」というのは発想になく(交流のあった他のアマ落語グループで、時々共演してもらった方を「名誉会員」の列に加えてはおりましたが)、内部で固まっていた「ムラ社会」でした。
 所詮、田舎の一隅で固まって、酒くらっては「XXXX]と連呼して一体感を強めている幸せな連中のいわゆる「共同幻想」(吉本隆明か?若手は検索して調べてみて下さい)である。ゆえに、我々は「XXXX」と連呼しているだけの「XXXX共同幻想体」である~という「論文」(?)を、落研の「理論機関紙」に発表したこともありました!

 昭和の時代には、発表会のご案内や活動報告する、いわゆる対外向け「広報誌」の他、内部向け「理論機関紙」を発行していました。とにかく、みな若かったし、理屈っぽかった奴が〔私を筆頭に〕そこそこ存在していました。「今後の落研は、どうあるべきか?」をメインテーマに、同志を糾合して「新しい落研を考える会」を立ち上げて、「合宿」までやったりと、いまの「おとなしい落研」からは考えられない時代でした。
 <ここで、中島みゆきの「時代」が流れてきそう。>
 
 とにかく、昭和の落研は「XXXX」が現役も含めて日常的に飛び交っていました。現役に感染して、部室に入るアイサツが、一時期「おはようございます」ではなくて「よっ、XXXX」で、あまりにも部室内で「XXXX」が乱発されるので、同好会の会長が「XXXX禁止令」を発布。「部室で一回言ったら、罰金50円」を課します。部室の壁のボードに「正」の書き込みでカウントしていきます。月間であまりに言い過ぎて、清算が出来ないと会長が
判断すると「徳政令」が出て、これはチャラになりました。これを現役から聞いた時は、私も「バカだなあ」と七転八倒した記憶があります。
 
 今回、2回に分けての文章の中で、どれだけ「XXXX」と書いたんだろう・・・出版物だったら「発禁」になるんじゃないかなあ~。

 *「50周年記念事業」の準備会議から半月以上が経過。当日の参加者で体調をくずしている者はいないようなので、良かった! この集まりが発生源になったら大ごとですから。

 *本会事務局長の中村和彦市議会議員(欅家とん平)のHP上で、奥様が「手作りマスクの作り方」をスライドショーとして公開しております。ご覧になってみて下さい!


 

 (きょうの「一分線香即席噺」)
 「魚屋のダンナ、オナラしたよ!」
 「ブリッ!」

 @真岡高校落語同好会OB会の「コンパ」(飲み会)のラストの出し物に、「XXXXシュプレヒコール」というのがあります。(XXXX、となっているのは、ブログ上では決して表現出来ない禁句だからであります!)
 コンパの締めに私(一生楽)がビール瓶をマイク替わりに持って立ち上がり演説を始めます。「本日結集された、すべてのXXXXを愛する、全学の学友諸君に対し、全学XXXX共闘会議より若干の連帯のアピールを行っていきたいと思う!」(ここで全員で「異議ナーシ!」と唱和)

 この演説の「言い回し」がわかるのは、私から上の時代に大学生生活をおくった世代でしょう。そうです、これはあの「大学紛争」の時代のアジ(扇動)演説のパロディーなのです!(本会の「平成組」や「Uー20世代」にはチンプンカンプンなことでしょう・・・)
 
 で、私が一通りの演説のあとに、「それでは、全学XXXX共闘会議・議長、糸賀祥二(OB会長)同志より、連帯のアピールをもらいたいと思う!」(一同、盛大な拍手)
 そして、演説の最後に「シュプレヒコール!」との合図で、会長の音頭で参加者一同が「XXXX、XXXX~!」と「四文字」を連呼する~というものです! (バカだなあ~)

 最近はコンパもめっきり開かれなくなってこれを披露する機会はまずありません。90年代後半に「第2次真岡女子高校落語同好会」があった頃も、一時自粛していました。20世紀末頃には、高校の「白布寄席」で、最後の公演のあと、お客様を完全に送り出した後に会場でやったりしましたが、現役最後の頃(2000年代後半)にはやらなくなったと思います。(「最後の現役、永楽は「見たことがありません」と言ってました。)
 現在も、女子大学生会員がいるから、タブーだなあ~。それに、いまやったら息が切れる~
歳だから&「XXXXシュプレヒコール」は、結構エネルギーいるから。議長役の会長もすでに故人だし。

 まあトンデモナイ「OB会名物」であります。

 #本会の2期生のOBが、先日「マスクなし」で、ある農産物直売所にはいったところ、店内にいた全員から「ギロッ」と睨まれたそうです!今やマスクなしで行動するのは「非国民」か?

 #先日お手紙を差し上げた、中学時代の「落語での恩師」菊池先生からお手紙をいただきました!お元気そうな様子で安心しました。「50周年記念」まで引き続き、お元気でいて欲しいです。

 #宇都宮の、のんき亭喜楽(清水一朗)さんへ久々にお手紙差し上げました。数年前にオリオン通りの「下野新聞・ニュースCAFE」で「二人会」をやって以来お会いしてませんので。「栃木県アマ落語界」のドンであり、落語・歌舞伎・演劇などへの造詣の深さはリスペクトに値します。大ボスです。ダンジョンの奥深くにいます。(これはウソ!)まだまだお元気でいて欲しい存在です。

 *事務局長のとん平さんが、「出番のない時期、なんとか高座を披露出来る機会、やり方がないだろうか?」と、いま動いています。実現の際は即、発表いたします。

 *永楽から打ち合わせのTEL。6月の会で、「コント」だけでなく、「落語もやらせて下さいよ~!」との声。みな、高座に上がりたがってるんだなあ~。


 (きょうの「一分線香即席噺」)
 「イノシシがこども産んだよ。何匹?」
 「しし16」

 @実は、今年11年ぶりに「七井慰問」を復活させる計画でした。1969年8月、発足間もない「真岡高校落語同好会」が実施した「第1号」企画。益子町・七井への老人ホーム慰問。あの時、笑ってもらって自信がつき、田舎の高校落研は順調にスタートがきれました。初期のメンバーにとっては思い入れの強いシリーズです。老人&盲老人合わせて2009年までに101回実施しました。高校の部がなくなってからは自然と中断。
 もう復活はないだろうと思っていましたが、この春12年ぶりに男子高校生会員が誕生!これを機に、若手の勉強の場を設ける意味からも11年ぶりに「盲老人ホームの方へ5月か6月に、久々におじゃましようか?」と考えていたら、今回のコロナ騒動!当然、構想段階で中止!おそらく実施出来るのは来年だろうなあ。

 *昨日は「三枚起請」を自主稽古。本来は昨日(26日)に開催よてだった「一生楽・風柳二人会」で口演するはずの演目でした。人前で口演出来る日が来るまで、磨き上げていこうと思います。

 *那須町在住の、那須家きく蔵さんへ手紙を出しました。(メールでは、長すぎて打てないので)きく蔵さんの「カムバック高座」も、なかなか実現出来ません。うしろへうしろへと日程が先延ばしになる一方です~。

 *2,3日前、「そばと落語を楽しむ会」の会場でもある「そば処・花總(はなふさ)」の前を通りかかったら貼り紙が。「4月21日から5月6日まで休業いたします」とのこと。「ああ、ここもコロナで営業自粛か・・・」 8月の例会は開催出来るといいんですが。

 *後輩から聞いた話で、私の同級生の次男さんが栃木の方で開いているお店が、コロナの関係で売り上げが急減!今月いっぱいで閉店するとのこと。私も行ったことがありますが「えっ! あそこが閉店!?」と、驚きました。身近なところでも今回の騒動の影響をかぶった店がでてきたとは。

 *落研の事務局として、私が最近やらなくなった事。出前寄席の主催者への「番組案」や「出演者プロフィール」を、コンビニへ行ってFAX送信すること。「楽屋帳」まとめや「出演データ」のチェック等々、ここ2ケ月無くなりましたわ。

 *村朝と文書・TEL・メールにて協議。6月の「荒町寄席~第16回二代目田舎家村朝独演会~(6.28(日)・久保記念館)」については、開催の方向で準備に入る。 
 
 *永楽とTEL。上記企画で上演予定の、コント集団「公正証書原本不実記載」のショートコント第2弾は、予定通り練習をスタートさせる。(まずは個別にセリフ覚えから)

 <夢見亭一生楽のBOOKガイド>
 本日は、「盤上の向日葵(ひまわり)」 (柚月 裕子・中央公論新社文庫・2017年)
 異端の天才棋士、彼は本当に殺人犯なのか? 二人の刑事が遺留品の名駒を頼りに捜査を開始。そして二人は「竜昇戦」が行われる厳冬の山形へ・・・
 昨年NHKのBSプレミアムでドラマ化されたので、ご覧になった方もいると思います。容疑者の若き天才棋士の半生を、ベテランと若手の刑事コンビが各地を追う展開は、往年の名作「砂の器」(松本清張:作)を彷彿とさせます。原作とテレビ版、設定の違いはありますが、私としてはラストに関しては後味が悪い原作より、テレビ版の方が好きです。とにかくグイグイ読ませる名作です!

 (きょうの「一分線香即席噺」)
 「猿が珍しいパンジーの花を持ってるよ」
 「チン(珍)パンジー」


 @私は、自分が語っているのは「江戸落語」ではなく、「栃木落語」だと思っています。
 「栃木弁で演じる落語」という意味ではありません。「江戸落語」の「粋」とは違って、わかりやすく・オモシロイ・ウケ狙いの野暮ったい落語です。
 年間を通じて地元のお年寄りを相手に演じる機会が多いのですが、まだまだ「落語」と「漫才」の違いがわからない方や、「笑点」の「大喜利」が落語だとおもっている方も多い現状です。そしてなによりみな「笑いたがってるな」との感触を会場でつかむことが多いです。
 「落語は、噺のなかで2,3回クスッと笑うところがあってサゲでうければ良い」という声を聞いたことがありますが、それはそれで良いとも思います。
 ですが、私は高座で語る中で、爆笑が欲しいし、「オモシロイ落語」をやる方がお客様にも喜ばれると思っています。なので、時事ネタ・流行語・カタカナ・方言・現代風のギャグ、色々と噺の中にいれます。
 
 「せっかくの噺を壊すな!」と「古典落語原理主義者」から言わせれば、許しがたいことだろうと思います。
 私も落語の基礎やその他語るうえで大事なことは一通り身につけております。(大学で落研に入ってすぐ、「少しは落語を知ってます・やれます」という田舎の高校生の鼻っ柱は、見事に叩き折られました!一からやり直しでした。ここで学んだこと・マスターしてきたことは、そのあと、後輩たちを指導するうえで大いに役に立ちました。)当然基礎は大切にしております。
 
 私は常に「ギャグ満載」の落語を演じているわけではなく、自主事業の時や、「ここは何回か実施している会場で、腰を据えて聴いてくれる」との手ごたえを感じている会場では、ネタによりますが「本寸法」で、噺を壊すギャグを入れず、キチンと演じております。

 「栃木落語」を標ぼうする一因に「なまり」の問題があります。栃木&茨城は言語学的には「南東北」に属します。(福島の言葉に「近いなあ」と感じるわけです) そして「平板アクセント」です。「雨」と「飴」・「橋」と「箸」、他の地方の方々は難なく使い分けているこれが、栃木人にはわからないのです! 
 大学の落研でずいぶん苦労しました。「小崎、おかしいぞ!」と先輩に指摘されても、どう変なのかがそもそも分からないのですから。下級生の時は一生懸命に「なまりの修正」に取り組みましたが、上級生になって真打(わが専修大学大学落語研究会には「階級制」がありました)に昇進するころには「めんどくせー!別にアナウンサーになるわけじゃねえし、治らねえもは治らねえんだ!俺はこれでいくんだ!」とあきらめ、開き直ってしまいました(一生楽の「わりとすぐに諦める」悪い癖が出ました。江戸っ子の同期生にはいい顔されませんでしたが)。で、「栃木訛りのアマチュア落語家」として現在に至っています。

 *なお、同期生には「ドサ廻りの真打でいいのか!」と罵倒されましたが、気にもしませんでした。
 偉そうですが江戸から遠い下野の国で「落語の普及」・「おもしろさを広めよう(【イエズス会】の宣教師みたいですが)を活動の目標の一つに掲げていることもあります。とにかく「わかりやすく」・「オモシロイ」落語を聴いてもらって「落語理解」の入り口として欲しいという思いもあります。
 
 とにかく、自分は今後とも「栃木落語」で進んでいこうと思います。(他のメンバーには強制しておりません。本寸法でいく者はそれでいいし、いろいろアレンジを試みている者もOKです。)ただ最近あらためて思うのは、新人・若手には基本をカッチリ教える必要がある、ということです。女子部に関しては、「興味を持ってもらおう」・「わかりやすく、楽しく」と、現代風のギャグも入れて噺を教えましたが(一部に不評だったので)、現在は逆に変にギャグを入れないで指導しています。男子には、まずは基本をしっかりと、で進めています。
 
 といったようなわけで、みなさま、今後とも一生楽の「栃木落語」にご理解とご声援を!


 


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